慢性の痛みと付き合うカギ、それは習慣化
痛みの強さは、診察した瞬間よりも、診察と診察のあいだの過ごし方に左右されます
慢性的な痛みは、火事でもないのに鳴り続ける火災報知器に似ています。痛みを知らせる警報の感度が上がりすぎて、本来は気にならないような刺激にも反応してしまう状態です。その感度を適切なところへ戻していくのは、一度で終わる作業ではなく、毎日の暮らしのなかで続けていくことになります。
そして、この「続ける」が、いちばん難しい部分です。
「家でストレッチをしてください」「無理のない範囲で、軽い運動でもいいのでやってください」。こんなことを診察室でよくお伝えします。しかし、続けられる方はそう多くありません。
これは意志の強さの問題ではなく、続けられる設計が用意されていないことが原因だと考えています。何を、どのくらいの粒度で、どう生活に組み込むか。そこが整っていなければ、理にかなったセルフケアほど続きません。
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では、その「続けられる設計」とは、具体的にどういうものか。自分は、次の 3 つが必要だと考えています。
1 つ目は、動作を小さく分けて、ふだんの生活動作にくっつけること。続かない最大の原因は、ハードルの高さです。「1日30分の運動」よりも、歯を磨くあいだの肩回し、椅子から立つときのひと伸びのように、数十秒に刻んで、すでにある動作に重ねるほうが続きます。
2 つ目は、「なぜやるのか」を、動作とセットで渡すこと。同じストレッチでも、「痛みの感度を上げすぎないために動かしている」と、その理由が腑に落ちているかどうかで、続き方は変わってきます。
3 つ目は、完璧を目指さず、戻ってこられるようにすること。本当の敵は、「1日できなかった=もうダメだ」という、全か無かの発想だと思います。痛みの強い日でもできる最小版を用意して、いつでも戻ってこられる動線をつくる。これも設計の一部だと考えています。
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これらの発想をもとに、慢性的な痛みと付き合いながら暮らしていくためのツールとして、いまアプリを作っています。AI が発展し、非エンジニアでも Claude Code などを使えばアプリを作れる時代になりました。もちろん、安全に使い続けられる堅牢なアプリを作り上げるのは、自分ひとりではできません。それでも、その基盤を医師自身がつくることの意義は、これから増していくように感じています。


「慢性の痛みは、火事でもないのに鳴り続ける火災報知器に似ている」という表現が非常に深く腑に落ちました。私たちは何かを継続しようとするとき、つい完璧さや意志の強さに頼ろうとして自分を追い詰めてしまいがちですが、本当に必要なのは、理由を納得した上で生活の中に数十秒の隙間として重ねていくしなやかさなのですね。1日できなかったことで思考を止めず、いつでも戻ってこられる小さな動線をあらかじめ用意しておくという姿勢に、等身大で自分を労りながら暮らしていくための本質を教わりました。