痛みと戦うほど、痛みは過敏になる
痛みをゼロにしようとするほど、かえって過敏になる。慢性疼痛と楽に付き合うための、痛みの仕組み
診察室の 15 分と、残りの 23 時間 45 分。その毎日の過ごし方の話に入っていく前に、痛みそのものの仕組みについて、一度きちんと書いておきたいと思います。
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火事ではないのに鳴り続ける、火災報知器。
慢性的な痛みは、そういう状態に近いと言われています。
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急性の痛みは、身体を守るための、きわめて重要な信号です。怪我のあとや、ぎっくり腰の急性期など。「ここに問題が起きている」「動かさないで」「休めて」と教えてくれる、信頼できる警報システムです。この時期の痛みに、医療がしっかり介入することは、医学的にも正しいことだと思います。
ただ、慢性化した痛みでは状況が違ってきます。痛みに「機能」がある、という前提自体は変わらないのですが、その警報の感度が病的に上がっている状態(中枢性感作)と考えられています。
たとえるなら、火事ではないのに鳴り続ける、火災報知器。
煙が出ていないのに、ふとした空気の動きでも、警報装置が「火事だ」と判定してしまう。本来なら無視できるレベルの信号が、強い痛みとして意識に届いてしまうことがあります。
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この警報装置には、やっかいな性質があります。
痛みを「敵」として戦うほど、警報装置はかえって過敏になりやすい。
「痛みをゼロにしなければ」「この感覚を消し去らなければ」と意識を向け続けるほど、脳のなかで痛み信号への警戒態勢が強化されていきます。火災報知器でいえば、ささいな煙も見逃すまいと、感度をどんどん上げてしまうイメージです。
逆に、痛みを「消し去る相手」ではなく「しばらく一緒に過ごしていく相手」として捉えられると、過剰な警戒がゆるんで、感度も適切なところへ調整されていきます。
そのため慢性疼痛では、「痛みをゼロにする」ことを目標に置くより、「身体の動きを取り戻す」「日常生活を取り戻す」を目標にしたほうがよいと、研究でも確かめられてきています。
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そして、自分の臨床で大事にしているのが、ここです。
これは、pain neuroscience education(PNE)と呼ばれる教育的なアプローチの、中心の考え方です。「自分の痛みは、警報装置の感度が上がっている状態かもしれない」と理解したうえで身体を動かしていくと、同じ痛み信号への受け止め方が変わっていく。そういうエビデンスが、積み上がってきています。
火災報知器を取り外すのではなく、適切に動くように調整していく。
痛みや身体の変化と共存しながら、活動と生活を取り戻していく考え方は、こういう仕組みの上に立っています。
では、その調整を、毎日の暮らしのなかでどう続けていくのか。次はその話を書きたいと思います。


「痛みを消し去る相手ではなく、しばらく一緒に過ごしていく相手として捉える」という視点に、深く腑に落ちました。痛みがあると、どうしてもそれを排除しようと躍起になり、その執着自体がさらに脳を緊張させて悪循環を生んでしまうという構造は非常にリアルで本質的です。火災報知器を無理に取り外そうとするのをやめて、感度を少しずつ調整しながら、昨日より一歩動けたこと、生活を取り戻せたことに目を向けていく。焦って戦うのをやめ、心身を緩めていくことの大切さに、とても心が軽くなりました。
中枢性感作は頭痛でも重要な概念です。認知行動的にそれに対処することはラストワンマイルになると思っています。